初受験から目標達成まで-TOEFL1年間で40点アップ
Hi!久し振りに目覚ましをかけたら、なんで目覚ましなってんの?とキレながら切って、二度寝してしまった今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
二度寝って最高ですよね笑
今回は前回の続きで、自分が全く英語が出来ない状況からどのようにしてTOEFLの目標点数を取ることができたのかについてまとめていきます。
TOEFL編 Part2の初受験から目標達成までの軌跡です!
TOEFL1年間で40点アップ 記事まとめ
初受験の話に入る前に…
巷で流行りのタイトル詐欺というものを僕も使ってしまったことをお詫びしたいと思います…
ここまで読んでくださった皆さんは本当にTOEFLの点数アップのために読んでくださっていると思うので、その人たちには真実を先にお伝えしましょう。
実は、
1年間で40点ではなく
1年と3ヶ月で39点でした…
…ちょっとくらい盛ってもいいじゃないですか笑 キリが悪かったんですもん笑
まぁ、タイトル詐欺というか若気のいたりでちょっとだけ盛ってしまっただけです…
って言っても、読めば分かると思いますが、1年3ヶ月間毎日ずっと何時間も勉強してたわけではありません。ガッと集中した期間はそのうち3ヶ月くらいです。
でも、3ヶ月集中期間の他の1年間のダラダラ勉強期間もなんだかんだでちょろっと勉強してたので1年間と適度にタイトル付けしました笑
…タイトル詐欺野郎かぁ~、それでも、読んでやる!という方はお読みください笑
そして、もう1つ!
今回の記事のような、”何ヶ月で何点TOEFLアップしました!”みたいなブログ記事はネットを探せばたくさんあります。
それでも、何故私がこのことを書こうかなと思っているかといいますと…
目標達成例は沢山あった方がそりゃいい
そりゃ、いろんな勉強の仕方とかを収集したほうが自分にあったやり方を見つけやすいからそれの手助けになればと思ってます。
高学歴の人が多い
他の方のブログをみてたりすると、東大生やら慶應生やらと高学歴の人が多い感じに見えます。それって、元から英語できるやつやん!ってツッコミたくなりますよね笑
つまり元からある英語の能力が高くて、TOEFLのテスト形式に慣れて点数アップみたいな感じが多い風に感じられる記事が多いです。
もちろん、その人の勉強法は元から英語力がある程度ある方や、効率の良い勉強法を学びたい方たちには有効だと思います。
自分の場合、法政大学というまぁ世間的には無難な大学ですのでいろんな人に参考にしてもらえればと思います。
そして、高校2年生のときはセンター試験4割、受験期に8割、国立入試は英語4割で惨敗。
大学入学当時のTOEFL ITPでは420点(TOEICで450点くらい)、大学1年の終わりには430点…っていう英語が得意とは言えないバックグラウンドからのTOEFL iBT対策を始めたので、私のような英語苦手だけどTOEFLで点数を取りたい方々に参考にしてもらえればと思います!
あと、自分は英語は苦手でしたが、英語で話したりするのは嫌いではなく好きだったので、英語を好きになるっていうことも勉強に対してのモチベーションにもなるので重要だと思います!
前置きが長くなってしまいましたが、こっから本文です笑
とりあえず初受験
私のTOEFLとの出会いは大学入学してから強制的に受けさせられるTOEFL ITPでした。ぶっちゃけクラス分けや留学には全く繋がらないものだったので適当に受けたところ、
420点/500点満点…
で、割と悲惨な点数でした。センター試験で8割くらいだった自分にとってもうちょいい
けるべという変な自信がありました(笑)
ちなみにこの点数はTOEICに換算すると450点いかないくらいです。
そしてこれを機に英語頑張ろうという気合が入り、大学生活におけるひとつの野望を掲げました。
派遣留学制度を利用して留学してやる!というものです。
この制度についても後々説明しますが、法政大学の数ある留学制度の中でトップレベルのプログラムです。GPAと英語のスコアの申請ラインがあり、それを越えないと申請すらできません。
その英語のスコアはTOEFLで71点以上というもの。TOEFL ITPで420点だった自分には高い高い壁でした。
まぁ今からやれば申請の時には間に合うだろう、と甘い気持ちで考えていて、TOEFLの単語帳は買いましたが、不定期で暗記したりして全然集中していませんでした。
そして、気づけば1年も終わり、1年の終わりには受けたTOEFL ITPでは430点という全く変わらない点数を取ってしまい、そろそろヤベェなと思いながらも、特にギアを変えることはありませんでした笑
ちなみに、法政大学の派遣留学制度には2種類あって、春学期留学と秋学期留学です。
英語圏だけで考えると、春学期はオーストラリア、秋学期はアメリカやイギリスなどに約1年間留学できるものがあります。
この申請期間は2年生か3年生で、合計4回のチャンスがあります。
①2年の6月申請→3年次4月~2月オーストラリア
②2年の10月申請→3年次8月~4年次5月アメリカ・イギリス
③3年の6月申請→4年次4月~2月オーストラリア
④3年の10月申請→4年次8月~5年次5月アメリカ・イギリス
自分的には3年次には必修科目が割りとあることが分かってたので、③か④を狙っていました。③だと4年で卒業できますが、④だと4年半もしくは5年かかってしまうので、とりあえず③でオーストラリアに行くことを目指していました。
オーストラリアもスポーツ科学がとても発展しているので、自分的にはオーストラリアかアメリカかどっちかという感じでした。
ただ、まぁ申請基準をクリアしても絶対に受かるわけではないので、チャンスは多いほうがいいと考えて申請基準をクリアできたら②から申請していこう、それが無理なら③、それも無理なら最後のチャンスで④にしようと、2年に上がる時に考えました。
そして、あまり対策はしていなかったが、7月にとりあえずTOEFLを初受験することにしました。無謀なチャレンジということは分かっていましたが、日本円にして約26000円投資して、とりあえず初受験することによって自分の現在地をはかれるのと、テストの雰囲気を味わうこと、そして何より自分を鼓舞するために受けると決めました。
そして、きたる2015年7月4日…
僕は死にました笑
そうです。本当にもう撃沈しました。
リスニングとか何言ってんのかわからなかったし、最初のマイクテストとかやり方わからんしでもうテンパりましたね笑
そして、TOEFLの結果が約10日後にきました…
リスニング2点…笑
マークテストで2点ってやばいですよね笑
ライティングが何故かちょい高なのは良くわからんし笑
ってことで、合計点数39点
これが僕のTOEFL初受験でもあり、TOEFL修行のスタートラインに立ったのでした…
目標設定
最初の申請のチャンスまで約3ヶ月。
それまでに申請の最低ラインである71点を取らないといけませんでした。
3ヶ月で32点アップ……わりと絶望的でした笑
でも、実はその年の8月から1ヶ月マレーシアに語学留学する予定でした。(今度詳しい記事上げます。)
だから、なんかワンチャンいけるんじゃね?と淡い期待を抱いていました笑
マレーシアでたっぷりと英語を学んできた(めちゃめちゃ遊び倒した)私は…
なんだかいけるかも?みたいな自信がありました。先生の言ってることなんか分かるし、リスニングも向上してるかも?なんて考えてました。
そして、帰国してすぐに2回目の受験。
そして10日後に結果が届き…
確かに全体的にあがりましたよ笑 2ヶ月で12点あがりました。でも、71点には到底及ばず…
TOEFLのテストの傾向などはつかんだはずなのに、こんなに点数が取れないということは、すなわち自分の地盤にある英語力がなさすぎるということに気がつきました。
そんなわたしは、テスト対策というよりかは、基盤である英語力を向上させて、次の年の6月(あと申請チャンス2回)までに71点取得することを決心しました…
幾度の敗北
こっからが泥沼でした笑
これから6回も受験することになるのです…
最初の2つも合わせたら8回…
約20万円…
僕のバイト代は消えて行きました笑
2年から3年にあがる前の春休み、バイトマンだった私は1年半続けていたバイトを辞めました(シフト出してなかったら、シフトから名前が消えていただけ笑)。
そして、大学受験並みに勉強しましたね。
あるTOEFL予備校に通い、さらに大学の英語集中プログラムに参加、家でも自習しまくりました。
特に意識してやったのが、シャドーイング。
前回、リスニングが5点だった私は、根本的にリスニング力がないのだと考えてシャドーイングをやりまくりました。
そして、単語も徹底的にやりました。この2つは朝昼晩と1日最低3回ずつはやりました。
春休みに猛勉強したお話しはコチラ
athletictrainer-0428studyabroad.hatenablog.com
っていうことで、その春休みの終わり頃に3回目のTOEFLチャレンジ。
集中期間の成果を期待して結果を待つと…
60点……
まだ目標点には達しませんでしたが、リスニングが6点アップしたりと、着々と上がって行きました。この調子で上がっていったらもう次くらいでいけるんやね?みたいな感じで思ってました。
6月までに点数を取らないとオーストラリアへの切符がなくなってしまうので、もう必死…笑
5月のを1つ申し込んだのですが、それで最後だったらやばいということで保険でその2週間後にもう1つ申し込みました笑
そして、2016年5月前半に受けたテスト結果は…
前回とまるっきり同じ60点…笑
もう絶望でした…
たった1点されど1点
そんな絶望の中、次のテストに向けて勉強してましたが、いやー、次のテスト2週間後だしもうオーストラリアは無理だろうな…と半ば諦めムードでした。
2週間で何やってもかわらんしょ…という気持ちで割と何もしてなかったです笑
そして、2週間後のオーストラリアに行けるかどうかかかっているラストのテストを受け、その結果は…
67点。おぉぉーー!あと4点!!!
なんか興奮してました笑
目標点数は取れなかったけど、初めて射程圏内に入ったという気持ちでいっぱいでした笑
まぁ、オーストラリアには行けなかったけど、これはアメリカに行けと言われてるんだなぁとポジティブに捉えていました笑
8月には2週間ほど学部の海外課外研修があったのでアメリカに行く予定がありました。自分的には、その前に点数を取っちゃって、向こうでは何も心配せずに楽しもう考えていました。
そして、8月にTOEFLを受けた結果が、まさかのいつもより早めにきて、アメリカにいる途中で届く予定が、渡米する日の早朝に届きました。結果は…
えぇぇぇ!?!?!?
70点…?あと1点??
アメリカで何も考えずに楽しむつもりが、まだ受験しないといけないのかと思い、アメリカに行くスーツケースには単語帳をちゃんと仕込ませておきました笑
そして、私は帰国後に念のため2回さらに申し込みました笑
1つは帰国した次の日。耳が英語慣れしている状態で受けたら点数あがるっしょ!と、甘い考えで申し込みました笑
もう1つはそれの保険でその2週間後のを申し込みました。もちろん最初ので点数が取れたらキャンセルするつもりでした。それでキャンセル料は取られてしまいますが、もし帰国後に点数が取れなかった時の本当に最後の最後のチャンスだったので、お金の心配はしてませんでした。
そして、夏休みにアメリカで研修をし、帰国…
…はい。そうです。あれです。
時差ぼけです笑
いやー、そんなことすっかり忘れてました笑
テスト中ボーッとしてましたね。
それの結果が…
66点
…初めて点数が下がりました。いままで6回も受けてきて、点数が下がったことはなかったのに7回目にして下がりました…
…あと1回申し込んでおいてよかったなぁという安堵の気持ちと、次が正真正銘、派遣留学に挑戦できる最後のチャンスだと言い聞かせました。
最後の戦い
そして、泣いても笑っても、次がラストTOEFL。通算8回目の受験。
あんま緊張はありませんでした。でも、テスト中に、あ、これは無理だなって思う展開がなんどもありました4時間という長丁場のテストが終わった時はついに派遣留学のための英語漬けの生活は終わりかと、一安心したのも束の間、点数取れてなかったらどうしようと慌てふためいてました笑
その結果が届く日の朝、1点足りなくて応募できないという夢を見ました。起きた瞬間、これはマジで夢だったのかと思うくらい鮮明でした。
そして、結果が届いており、息を潜めて見てみると…
おぉーーーーー!
ってなり、それと同時に恥ずかしながら涙が少し出ました笑
もう久しぶりの涙ですよ笑
リスニングがついに20もいき、目標点数を大きく上回ることができたのは本当の本当に嬉しかったです。
結局、8回も受けてしまいましたが、最終的に取れてよかったです。
ぶっちゃけオーストラリアを目指してなくて、最後のアメリカ申請期間に近づいた時にだけ勉強していたら落ちていたと思うので、オーストラリアには行けなかったけど、それのために勉強をちょっとでも続けていてよかったと思います。
そして、春休みの集中期間では、すぐには点数という目に見える部分では結果はあまり出ませんでしたが、リスニングが少し上がったり、英語力の地盤が出来てきたり、自分の英語学習の型が出来た時期だと思うので、あの期間がなければたぶん今点数は取れてなかったと思います。
結局、だらだらと1年3ヶ月もかかってしまいましたが、結局、39点も上がり、また自分自身もテストを解くテクニックだけではなく、そもそもの英語力も上がったと確実に感じました。
短時間でテストを解く技術はついて、点数は上がるかもしれませんが、英語力は短期間では上がらないと思います。
もとから、英語力が備わってる人はテクニックを学べば点数は上がりますが、英語力が最初はあまりない方はテクニックと並行してそもそもの英語力を鍛える必要があります。
そのためには、単語、リスニングが鍵になってきます。
それらについてと、各セクションで自分が書きたいことなどを次回以降から書いていこうと思います。
athletictrainer-0428studyabroad.hatenablog.com
軽く書くつもりでしたが、やっぱり感情こもって沢山書いてしまいました(笑)
長々と書いてしまって申し訳ありませんでしたが、これが私の”初受験から目標達成までの軌跡”でした!Bye!